7歳~12歳(小学生) 不登校

学校給食が怖い。嘔吐恐怖から不登校へ(その2 荒れた心)画像あり


吐き気が出やすく給食が食べられなくなっていった長男。
ある日本当に嘔吐してしまい、給食に対する不安はどんどん強くなっていきました。

実際に給食の様子を見に行き、私は大きなショックを受けました。

長男が小学校2年生の時のお話です。
前回のお話はこちらからどうぞ→学校給食が怖い。嘔吐恐怖から不登校へ(その1)

今回のお話は長男が通っていた学校の長男のクラスの個人的なお話です。
今から10年近く前のお話。この頃少し強い言葉をかけていた子達は学年が進むにつれて仲良くなったり、お互い適度に距離を置くようになり大きなトラブルはありません。
学校や同級生の子達に対する批判ではなく、1つの経験談です。

体の異変

朝嘔吐したのを機に、長男は頻繁に朝嘔吐するようになりました。
嘔吐できるように準備してから朝ご飯を食べるようになり、吐きたくないからと朝ご飯を食べない日が増えました。

朝は水しか飲まなくなり、時には水でも吐きました。
「吐く時に胸にぐっと力が入る感じが凄く怖い、あれになったら外でも吐いてしまう。」と外出を嫌がるようになりました。

学校は遅刻、早退、欠席が続きました。
「皆の前で吐くかもしれない。」という極度の緊張状態でした。

それでも毎日
学校に行きたい。」と言います。

ある時から「喉が凄く渇く」と言うようになりました。
水を持っていなければ、5分の距離でも出られないのです。

うっかり水を忘れて家を出てしまい、「すぐそこに自販機があるから飲み物を買おう。」と言っても、「我慢できるか分からない。喉が渇いて吐きそう。怖い。」と立ち止まってしまったりしました。

朝学校まで送る時も、校門の前で水をがぶ飲み。
それでも「教室までもつかな」と不安になります。

授業の合間の休み時間も水を大量に飲んで、授業中はずっと「喉が渇いて吐いたらどうしよう。」と思いながら受けていました。

授業の45分を我慢するのが精一杯。水の心配ばかりしているから、授業が耳に入ってこない」と言っていました。

担任の先生に伝えると
「今は暑いですから、喉は渇くでしょう!水分補給は大事です!」と言われ、なかなか長男の状態を伝えるのが難しかったです。

1日中、嘔吐、水、学校。頭の中はそればかりでした。

孤独になっていく

2年生になり数ヶ月経っても、長男は入学したての1年生のように、ソワソワと学校生活を送っていました。
決して大きな学校ではないのですが、「学校の中が覚えられない」と言います。

保健室、職員室、体育館、給食室、どこにあるのか分からない、と。

さすがにそんなことがあるのかなと思いました。
1年生の玄関のすぐ横は職員室だからです。

体育館が分からないって、もう1年以上も体育をしているのに、どうやって行っているの??

掃除のしかたが分からない。」とも言いました。
掃除!!毎日しているのに??

でも私もそこまで細かく学校の生活が分かる訳ではないし(例えば掃除の班がどうなっているのか、など)
「誰かに聞いてみたら?」と言ったら「そんなこと分からないのは僕だけだよ。笑われそうで聞けない。」と言うのです。

掃除、体育、図書、図工などの教室移動がある度に、自分だけ場所が分からず、気付いたら一人だけ違う場所にいたらどうしよう。
どこかに集まらなければいけないのを自分だけが知らずに置いて行かれるんじゃないか、と不安になってしまうのです。

一人だけ違うことをしていて、それを人に指摘されるのが怖い、ということも学校生活の中で大きな不安になっていきました。

そんな中、私には1つの不満がありました。

遅刻してでも登校できる日もあります。
それでも宿題のプリントや手紙を持って帰って来ないのです。
先生が渡さなかったから」と長男は言います。

ある日には3日分くらいをまとめて渡され、長男はそれを必死にやっていました。
小学校は手紙も多く、私もまとめて目を通ました。
提出期限が過ぎているものもあり、

私が「学校に来た日はその都度渡してくれればいいのにね・・」と長男に言うと

学校にちゃんと行けない僕が悪いんだから仕方ないよ。」と。
夜遅くまで宿題をやる日もあれば、「今日は何も渡されてない。」と何もしない日もあります。

宿題が溜まっているのは自分のせいだと長男は思っています。
連絡事項が分からないのも、提出期限が切れてしまうのも、全て自分がしっかり学校に行けないせいだと。

自分だけ違うことをしていて、それを人に指摘されるのが怖い。
連絡事項が分からない、皆やっているはずの宿題を自分だけやっていないかもしれない。

今日は頑張って登校しようと思っても、学校で何がある日なのか分からない。
その不安は長男の登校不安定を悪化させました。

学校の中が覚えられない、掃除など、毎日やっているこもと覚えられない。
それは長男が常に自分がやっていることは合っているんだろうか?と考えていたからだと思いました。

長男とクラスとの距離はどんどん開いていくように感じました。

給食の様子

学校の参観日がありました。
この日、長男は嫌がるかなと思ったのですが、給食の時間も見ることにしました。

授業中や休み時間を見ていると、長男は水をがぶ飲みしてはいましたが、同級生が長男に話しかけたり、授業中発言をしたりしていて、私が思っていたより長男はリラックスしていように見えました。

長男と話す子は数人いて、長男が心配するような、できないことを指摘して笑ったりするような雰囲気には見えませんでした。

現実として、長男に限らず誰でもクラスで違うことをしている子がいたら、他の子が声をかけたりすると思います。
その子にしたら親切で教えてらあげている、まして登校が不安定な長男を皆が知っているのですから、気にかけてくれている子もいるかもしれません。

それでも長男にしてみたら、できないことに関して言われたという事実が耐えらないのだと思ました。

私は正直、この状況で何故長男がずっと「学校へ行きたい」と言い続けるのか不思議でした。

でもクラスメイトと話す長男を見て、クラスの雰囲気や気持ちは子供同士でしっかり伝わっているのではないかと思いました。

ところが、4時間目が終わり、給食の準備となった途端、長男の様子は一変。

表情は強張り始めました。

長男のクラスは、一度普通の量をお皿に盛り、全員準備ができたら食べきれないと思う物を容器に戻す、というやり方でした。

なんとなく長男から聞いてはいたものの、お皿に盛った食べ物を、先生の合図と共に何人もがまた席を立ち容器に戻す姿が異様な光景に見えました。

初めから少なく盛り付ければ良いのに・・と思いました。

長男はお皿に盛った食べ物をほとんど戻していました。
ご飯、おかず、汁物、全て減らして、それぞれが一口で食べ終えてしまうような、少ない量。

あまりに少ない量に驚きました。

皆が楽しくお喋りしながら食べる中、長男の顔は引きつり、ただ黙々と口に運ぶ。
同じ班の子が話しかけても笑いもしない、喋りもしない。

本当に黙々と、止まらずに口に運んでいました。

いつ気持ち悪くなるか。
全部食べきれるか。

そんなことばかり考えているように見えました。

そんな長男の様子が想像以上で、あまりに辛そうで、涙が出そうになりました。
給食の時間が長く長く感じ、終わらないのではと思った程。

私はこの場所に毎日長男を送り出していたのか。
見ている私でさえ長く感じる時間。
あそこに座っている長男にはどんなに長く辛い時間だろう。
もうこのまま、抱えて家に連れ帰りたいと思いました。

やっと食べ終わり、箸を置き、ほっと溜息をつく長男。
食べきれて安心した表情。

私を見ることは一度もありませんでした。

給食ってこんな思いまでして食べなければいけないのか、という思いが強くなりました。

辛いことが続く

ある日、校門の前で下校を待っているととても悲しそうな顔で学校から出てきました。
理由を聞くと、図工の時間に班になって数人で1枚の絵を描く、という授業があったそう。

するとある男の子が

「京介は絵が下手だなぁ!何でそんなに下手なの?これ以上描くとこの絵がぐちゃぐちゃになるから描くな。お前はもう描くな。クレヨンも持つな。京介はこのクラスで一番絵が下手だ!」

と言われた、と。

長男はそこから描かせてもらえず、皆で楽しそうに絵を完成させていくのを、授業が終わるまでじっと見ていたんだそう・・・。

僕はクラスで一番絵が下手だから、もう二度と絵は描きたくない。」と泣く長男。

長男は入学時から絵が苦手、図工が嫌いだと言っていました。
「図工は楽しんでやることも大事だよ。」「描くのは苦手でも色を塗るのはとても上手。下書きはパパっと終わらせて、色塗りでカバーしようよ。」

「お母さんは京介の絵好きだけどなー。見る人の好みの問題もあるんだよ?その人の好き嫌いは京介のせいじゃない。京介の絵を好きな人だって沢山いると思うよ。」

私なりに様々話して絵日記などはやらせていました。
それが一瞬で、二度と描きたくないところまでいってしまいました。

その後も図工の時間に作った作品が下手だと言われ続け、とても悲しそうでした。

運動も苦手意識が強い長男。
運動会というだけで緊張しているのに、「足が遅い」「下手だ」「京介のせいで勝てなかった」と言われ、辛い状況が続きました。

図工の時間や体育の時間に長男に辛い言葉を言っていたのは、1人の子でした。
長男にとって本当に辛い言葉や態度だったと思います。

それでも長男は「学校へ行けるようになりたい。」と言いました。

一点しか見えない

長男は算数が得意でした。
「じゃあさ、そのいつも色々いってくる子と京介、どっちが算数できた?テストの点を比べたことがある?その子じゃなくても、算数はクラスの中でできる方なんじゃない?」と聞いたら

分からない。人に聞いてどうするの?その子の点数が高かったら僕は嫌な気持ちになるし、僕が高かったらその子が嫌な気持ちになるのにさ。

ごもっとも・・・。

「じゃ・・じゃあ、人の前で発表できるじゃない?それって凄い特技だと思うの。それは皆より得意かなって思わない?」と聞いたら

分からない。分かっているけど手をあげない人もいるかもしれないでしょ。僕は手をあげるけど、間違えることもあるから、それが得意とか偉いとかないと思う。

「間違えても手をあげて人前で意見を言えることは、大きな勇気なんだよ。その勇気を持てる人は、あまりいないんだよ。」

そう?答えが合っている方が偉いと思うけど。

私の声は届きません。
長男は自分が人よりできていないこと、その一点しか見えていませんでした。
そう思っているところへ、同級生からの言葉。

やっぱり僕はできていないんだ、このクラスで一番駄目なんだ、という気持ちになっていました。

それでも学校に行きたい(画像)

嘔吐恐怖、極度の給食への不安、苦手意識、同級生の言葉。
長男も私も、自分を責めてばかりでした。

長男の体重は落ち、吐くのが怖くて外にほとんど出ない。

私は食べられなくなり、胃カメラをしたり、不眠になり睡眠薬を飲んだり。
不安発作は頻繁に起き、その度に抗不安薬を飲みました。

それでも長男は

学校へ行きたい。」と言いました。
悩んで悩んで、
どうしたら行けるんだろう?
どうして行けないんだろう?
何度も考えて話し合いました。

計画表を作って、その通りに朝準備する!!

7時50分に家を出て、8時10分に学校に着く。

同じような計画表を何枚も作って、机、壁など、家中に貼りました。

でも朝になるとこの通りには全くいかず、それでも計画表を見てその通りに動こうとする長男。

時計を気にしながら涙がこぼれていきます。
7時50分は毎日過ぎていきました。

なんとか遅刻して登校し、帰って来てまた計画表を見て、どうしてできなかったのか考える。
その繰り返しでした。

学校で何かある度に、それをどうにかして乗り越えようと思うのでしょう。
紙に書いて貼って、その気持ちを忘れないようにするんだと言っていました。

左は水泳の授業で、クラスのほとんど子が泳げるのに、自分だけ泳げないと悩んだ時に書いたもの。
なんかいもなんかいもれんしゅうして、できないやつだってもっともっとれんしゅうすればかならずうまくなる!!

右は図工の時間に下手だと言われた時
みんなにじぶんのつくったさくひんのことをからかわれてもきにしない!!

こういう風になりたい、こんな風に思えるようになりたい、それを紙に書いていつも見えるように。
忘れて辛くなったら、またすぐこの気持ちに戻ってこれるように。

家中が紙だらけになりました。

荒れた心(画像)

学校では毎日ノートに翌日の連絡事項をメモしてくるのですが、ある日ノートを開くとあまりに驚いて心臓が冷たくなるような感覚になりました。

「どうしてこんな字を書いたの?」と聞くと

「皆が書くのが早くて間に合わなくて焦った。」と。

漢字練習も時々このような字をかくようになりました。
聞くと必ず

「焦って」と言うのです。

私はこの字を見て、もう取り返しのつかないところまで来てしまったんじゃないかと思いました。
私なんかでは長男の心は救えない。
皆と同じように学校に行かせることなんて、とても不可能なことをしようとしていると思いました。

到底無理なことを私はさせようとしている、そのせいで長男の心はどんどん壊れて、私のように鬱病になってしまうかもしれない。

実際長男は嘔吐が怖くて外出もできず、1日は予期不安に占められていて、もう鬱の手前のように見えました。

私の頭の中には思っていたことがありました。
長男が1歳で大病をして死にかけた時。
そして奇跡的に助かった時。

私はもう何もいらないと思いました。
この子が生きてこの先の人生もあるなんて、それも後遺症もなく、また一緒に暮らせるなんて夢のようだと思ったのです。

それなのに、私は何をしているんだろう?
なんとか繋がった命。
その大切な一日一日。

あの時あれ程続いて欲しいと願って、それが叶ったこの毎日を、私は一体何に使っているんだろう。
京介は辛そうで悲しそうな顔ばかりしている。

うつ病で私が死ぬことを考えたいたように、このままでは長男もいつかそう思うかもしれない。

やっと助かったのに・・!!

もうこんな毎日はやめようと思いました。
辛い思いばかりさせる学校なんて、何の意味があるだろう。

幼少期、同じく学校が辛かった。
大人達は誰も分かってくれなかった。

子供の時、大人達に助けて欲しいと思いました。
小さな私は非力で何もできず、できる限り耐え、我慢できないことは自分が悪いと思いました。
でも今は私が大人になった。

子供の頃の自分と長男が重なり、今度こそは助け出そうと思いました。

これまで何度か学校の協力を求めてきましたが、話は進みませんでした。
ちゃんと話しに行こう。
分かって貰えないなら、長男を学校に行かせるのはもうやめて、他の道を考えよう。

荒れた字と、普段の字が数ページ毎に繰り返される長男のノートを見て、私は面談を申し込むことにしました。

まとめ

いつ登校できるか分からず、いつ早退してくるか分からない状態に、私は仕事を辞めていました。
1年生の3学期から3年生まで、長男にとっては本当に苦しい期間で、私も心身共に疲れきっていました。

入学前から長男の学校生活に不安はありましたが、私の想像を超えた辛い毎日が続きました。

次回は学校へ相談した時の話と、私の決断のお話を書きたいと思います。

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