7歳~12歳(小学生) 不登校

学校給食が怖い。嘔吐恐怖から不登校へ(その1 給食の決まり)


食べ物の好き嫌いがあって、小学校の給食が不安だというお子さんもいらっしゃるのではないでしょうか。

偏食以外にも、食べるのが遅いから時間内に食べきれるか心配という声もよく聞きます。

給食は楽しい時間と感じる子供が多い中、とても苦痛に思う子供もいます。

長男(京介)は嫌いな食べ物があり給食の不安から、給食以外の学校生活も辛くなり、登校できなくなってしまいました。

今回のお話は長男が通っていた学校の長男のクラスの個人的なお話です。
今から10年近く前のお話。この頃少し強い言葉をかけていた子達は学年が進むにつれて仲良くなったり、お互い適度に距離を置くようになり大きなトラブルはありません。
学校や同級生の子達に対する批判ではなく、1つの経験談です。

同級生とのトラブル

長男は首の詰まった服が嫌いでした。
すぐに「苦しい」と言うのです。

小学校1年生に入学して間もない頃、「黄色い帽子と紅白帽子のゴムが苦しい。」と言いました。

「あごひもきつい?まだ新しいからそうかもね。そのうち伸びるよ。」と軽く返した私。

それでも気にしているようだったので、担任の先生にゴムを緩く付け直して良いか聞きました。

「少しなら大丈夫です。あまり緩いと見た目の問題もありますし、風で飛ぶといけないので、ほどほどに。」という答えでした。

私は再び連絡帳に

「京介は首に違和感を感じることが多く、ゴムが首に当たるだけでも苦しいと言います。申し訳ないのですが緩めに付けても良いですか?」と記入。

「そういう理由なら大丈夫です。そのようなお子さんは時々います。」と先生。

私もタートルネックが苦手なので、長男の気持ちは実感としてよく分かりました。
ある日、長男が下校してくると「A君に後ろから首を絞められた。苦しくて死ぬかと思った。」と言うので驚いてしまいました。

何の前触れもなく突然後ろから羽交い絞めにされ、更に首に腕を回されて後ろにのけ反る様にぐっと引っ張られたと話していました。

A君と長男では体格差があり、長男は腕を外すことも、抜けることもできず息ができなかったのだそう。

「それでどうしたの!?」

「暴れていたらB君が気付いてくれて、僕とA君の間に無理矢理入って腕をほどいてくれた。怖かった。」と今にも泣きそう。

B君が来てもAくんはなかなか腕を緩めず、Bくんが「やめろ!!!」と怒鳴って腕を振りほどいてくれた、と。

「そうなんだ・・。良かったね。B君が近くにいて偶然見ていてくれて本当に良かった。」
まだ加減の分からない1年生。
誰も気付かずにいたらどうなっていただろうと、ぞっとしました。

私は連絡帳にその時の様子とこう書きました。


子供同士の遊び、ふざけただけというのは理解できますが、京介は首に苦しさを強く感じることが多く、そのことで帽子のゴムのこともご相談させて頂きました。

京介はとても怖がっています。
首ですから、一歩間違えていたら大きなことになり兼ねなかったのではと思います。
気付いてくれ、腕をほどいてくれたお子さんにお礼を伝えて下さい。

その夜、先生から電話がありました。

「生徒には指導しました。
A君の親御さんにも伝えてありますので、これから連絡がいくと思います。」と。

1年生が始まって間もないというのに、もうトラブルで親同士が話をするのか・・と思いました。

どんな風に対応したら良いのだろう。
こんな時なのに、私は相手に変なことを言ってしまったらどうしようと考えていました。

母親らしいしっかりした対応をしなければ。
「首は本人が嫌がるので、気を付けて欲しい。」
それだけは伝えておかないと・・。

手が冷たくなりソワソワと落ち着かなく連絡を待っていると、電話が鳴りました。

「なんか先生からうちの子が首を絞めたって聞いてね。
首絞めたって、まだ子供なのにそんなねーとは思いましたが、先生から電話もきたので。
すみませんねー。大丈夫ですかー?」

この言葉を聞いた途端、胸がゾワっとしました。
心臓がドキドキして、あんなにしっかり話し合おうと思っていたのに、早く切りたいと思ってしまいました。

「大丈夫です。わざわざお電話ありがとうございました。」と言って急いで電話を切りました。

あの時の自分を思い返すと、予想していた謝罪の言葉とは違ったんでしょうね。

声のトーンや内容に過敏に反応してしまい、怒りなのか不安なのか、そんな感情が急に押し寄せてしまったのだと思います。

大丈夫ではないから連絡帳に書いたはずだったのに。

母親としての役目がまるで果たせなかった気がして、情けなくなりました。

この頃から長男は「首が苦しくなりやすい」と言うようになり、下校後はぐったり疲れていました。

また、外出時に突然気持ち悪くなり、動けなくなったこともありました。
数時間休むと治ったのですが、「また同じようになったらどうしよう・・」という思いが残ったようです。

入学して早々に、長男と私は「小学校って大変そう・・」と思ったのでした。

給食の不安

1年生の3学期になると「給食を食べるのが緊張する」と言い、朝なかなか家を出られなくなりました。
この時の担任の先生は給食を残しても何も言わず、残したままでのおかわりも自由。

遅刻は繰り返すものの、行ってしまえばお昼にはお腹が空くらしく、給食は食べて帰って来ました。

朝は家を出るまでが大変で、なんとか説得したり、気分を盛り上げたり、歌ったりしながら一緒に家を出ても、校舎を見ると怖くなってしまい

「やっぱり無理・・」と青冷めた顔。

一度引き返して、また気持ちを立て直し、再登校。

寝る前は「明日こそ朝から行く!!!」と気合を入れても、朝になると泣く程不安になってしまいます。

私は毎朝遅刻の連絡を学校にして、教室まで送り、下校時間に校門の前まで迎えに行きました。
長男と一緒に家と学校を行ったり来たりするので、自分の用事での外出はあまりできなくなりました。

これが食べられないから給食が怖い

長男はトマトでした。

小学校入学前から、トマトが食べられないことで、給食の不安は少しありました。
トマトが嫌いなお子さんって、ネットで調べると結構沢山いるんですよね。

酸味もあり独特な味ですから、嫌いなのも分かります。
でも長男の嫌いな物はトマトだけでした。

それ以外はピーマンでも玉ねぎでも、野菜は特に好きではないようでしたが、時間をかければ食べられたし、給食で好きな献立もいくつかありました。

長男は保育園だったので給食でした。
心の不安定が食欲に出やすい子で、園と相談しながらの給食でした。

でも3年間給食だったのですから、小学校給食もまぁどうにかなるだろうと思っていたのです。

私の予想は外れました。
緊張と不安で吐き気がする中、嫌いなトマトが食べられるか」長男の頭の中はその思いでいっぱいになりました。

トマトがある日は給食を食べたくない。
トマトが食べられないと同級生に知られたくない。
朝になるとそれが不安で吐き気がする。
吐きそうで怖いから家を出ることができない。

そこから始まった遅刻、欠席でした。

1年生の先生は「残してもいいですよ。」という方針でした。
トマトだって残して構わなかったし、完食を迫られることもありませんでした。

それでも長男には「絶対残したくない!!」と思いがあり、登校が辛かったのです。
そう思う1つに、給食を残している子がいないということがありました。

実際はそんなことはなかったと思うんですね。
でも長男には他の子をしっかり見る余裕はありませんでした。

トマトは無理矢理食べることもできなかったので、残すしかありませんでした。
トマトが出る日はなんとか残して、給食を終える。

これも1年生で知らない子ばかりの教室では、長男にとって相当怖い時間だったと思います。
いつ誰に「トマト食べられないの?」と声をかけられるか分からないのです。

もちろんその子は悪気があってのことではなく日常会話だったとしても、長男には耐え難いことでした。

先生にお願いをして、長男に「残していいからね」と声をかけてもらったこともありました。
子供にとって、先生の言葉は絶大です。

先生の声掛けのおかげで、1年生が終わる頃には朝から登校し、給食も食べ、定時に下校できるようになりました。

先生からは「量的にも沢山食べていますよ。」と言われ、おかわりする日も出てきて自信がついたようでした。

私がやったこと

1年生の時は保護者が参加できるものには、ほとんど参加していました。
私も学校へ行く機会を増やし、学校での長男を見たり、私が行くことで少しは安心するかなと思ったのです。

「今日はお母さんも学校に行くよ。」と言ってみたり。(これは長男にとって特に安心材料にはなりませんでした

休日も学校を開放している時は、長男と遊びに行きました。
これも特に登校への自信にはならず泣

私を学校で見かけたところで、または学校に入ることに慣れる為に休日も遊びに行ったりしても、嫌なことは給食なわけですから、なーんの意味もありませんでした(^^;

結果、無意味だったのですが、私の性格上親として何もしてあげられない自分を許せなく思う気持ちがありました。

ある意味、私が学校に行けば少し安心するかも?私はそれを実行に移した!というのは自己満足でしかありません。
長男は別に嬉しくもなければ、安心もしていないのですから。

私はこれをしたけれど駄目だった、というやったことが残ったのは良かったと思っています。
ただ、それは私が学校に行くことで長男が嫌な思いをしなかったから。

なんでもそう。今回の話は後々になって・・ということばかりです。

給食の決まり

2年生になり担任の先生が変わると緊張が強くなりました。

ほっとするのは学校から帰ってきた直後だけで、夜も朝も給食の不安を訴える長男。
表情も強張り、笑うこともなくなっていきました。

2年生の担任の先生は給食の決まりがありました。

  • 一度通常の量をお皿に盛りつけるが、多い人は容器に戻す
  • 残したままでのおかわりは禁止
  • 全員食べ終わった班から片付けを始められる
  • 全員完食を毎日の目標とする

自分のせいで同じ班の子が片付けられなかったらどうしよう・・というとても強い不安を生みました。
そして、もし今日残したのが僕1人だったら、僕のせいで全員完食が達成できなかったことになってしまう、というのもはや恐怖に感じていました。

苦手な物が多い日はおかわりができないので、空腹で帰宅し、家にきてから昼ご飯を食べ直すような感じでした。

給食を食べきらないと片付けられない。
残すことができない。
食器に食べ物がのっているのが嫌になり、人に見られたくないから早く食べきってしまいたい。
全員完食を目指すためには何が何でも食べきらないといけない。
誰かに責められたくない。

その気持ちが強くなり、どんどん給食の量を減らしていたようです。

「お腹が空いた・・・」と帰宅する長男。
給食があるのに、昼ご飯を準備しなければいけない。

溜息混じりに、それでも安心したように昼ご飯を食べる長男を何度も見ていると、これが現実に起きていることなのか分からないような感覚になりました。

無言でご飯を食べている長男を見ながら、私はぼんやり想像していました。

給食の器にのったトマトを見つめる長男。

トマトがある日は完食できません。
長男が完食できないと、班の子達が全員片付けられないのです。

そのうち、食べ終わった子達が「早く食べて!!」と急かします。
昼休みですから、子供達は早く片付けて遊びたいのです。

無理にトマトを食べたら吐くかもしれないというのが長男の最大の恐怖です。
その時長男はどうしたらよいのでしょうか。

その時ご飯を食べていた長男が言いました。

「僕が吐いてでもトマトを飲み込まなければ、皆が給食を終われないんだよ。
新しい先生になって、そういう決まりになったの。
それでも頑張れなかったらどうしたらいい?5時間目になって、6時間目になっても食べられなくて、それでも給食が終われなかったら?夜になってもう家に帰って来れなくなったら・・?ずっと学校にいるの?」

どんどん涙声になっていきます。

「トマトじゃなくても食べられないよ。そんなに早く食べられない!
もし吐いたら?吐いたやつもまた食べなきゃいけない?どうやったら給食が終わるの?」

そう言って、声をあげて泣き出しました。

現実と、現実には起らない想像上のことが区別できなくなっているように思いました。
それとも、まだ2年生の長男にはそれが現実だったのかもしれません。

そして長男の話の通りに、夜になるまで班の子達と長男が教室に残され、明かりの付いた教室で給食を見つめる長男とそれを責める子供達、無言の担任の先生が見えるような気がしてくるのです。

私の症状である、現実味が無い離人感も酷くなっていきました。

私は献立を見て、トマトが出る日は全て休ませることにしました。


昨日は給食がトマトだったのでお休みしました。次のトマトは〇日のようなので、欠席します。

自分で書いた連絡帳に違和感を覚えました。

たった1つの苦手な物。

いじめにあっているわけでもない。
極端に勉強が嫌いなわけでもない。
授業もそれなりに大人しく受け、やるべきことはやっている。

日常的によく見かけるトマトが、長男を不登校にさせている。
スーパーなどでトマトを見ると、これが長男を学校に行かせないなんて、そんなことが現実としてあるんだろうかと思えてきました。

考えれば考える程、この現実が非日常的に思えてくるのです。

ただ私は、自分で酷いうつ病を経験し、長男の不安が不安を呼ぶ思考はとてもよく理解できました。

長男と同じ立場に立ったら、私も同じことを考えたと思います。
「そうは言っても、どうせ先生が途中で給食を終わりにするだろう。ずっと残すことなんてありえない。」と思える性格ではないのです。

長男はトマトを無理矢理飲み込んで、皆が早く片付けができた、という結果を出すことしか、自分を納得させることができませんでした。

私は長男がトマトを食べなければいけない状況を徹底的に避けました。

トマトの日は勿論、シチューやカレーにトマトペーストが入っている日も、ケチャップ味のおかずや麺、ご飯の日も全て。

欠席させる権限を私が持っていて良かったと心から思いました。

嘔吐

トマトの日は欠席と決めても、休むことに長男は強い罪悪感を持ちました。
いつも不安そうで

外に出るのが怖い

と言います。

それでも「給食が食べられるようになりたい、学校に行きたい。」と言っていました。

トマトが出ない日であっても、とにかく完食しなければ片付けられないのです。

献立表を何度も見ては「これはどんな味?」と私に聞くのですが、メニューの名前を見ても詳しく分からない物も多く、私も答えられません。

答えられないので長男も安心できない。
そのやりとりが何度も続きました。

トマトを食べる事が辛い。
残さず短時間で完食するのも辛い。

いつも誰かに見られていて、自分のできないことを指摘されるかもしれない。
長男はトマト嫌いだけではなく、給食が嫌いになり、学校生活にも強いストレスを感じるようになっていきました。

朝は登校時間に行けるように起こし、朝ご飯を準備します。
食欲のない日が続き、ハムを1枚食べるのがやっとになりました。

ある日、なんとかハムを食べさせ、水を飲んだら
「気持ち悪い。」と。

これはもうずっと続いていたので、「少し休んで」と言ったら

袋!!!」と長男が叫びました。
慌てて、袋を渡したら、何度か苦しそうにえずき、嘔吐。

ついに本当に吐いてしまった。
この時私は発作のようになってしまい、手が震えて動けなくなりました。

長男の顔は真っ青でした。

私のせい・・?

長男の嘔吐物を前に、私も疲れてしまいました。

何をどう頑張っても長男はどんどん悪化していく。
きっとこの子はこのまま不登校になり、引きこもりになり、学校も行けず、社会にも出れず、ずっと私が面倒をみていくんだろう。

私の子育ては死ぬまで終わらない。
私が死んだら、この子はどうやって生きていくんだろう。
そのまま死んでしまうんじゃないだろうか。

この子は私のせいでこんな風になってしまったのかもしれない。
私が5年もうつ病だったから。
私が夫とうまくいかないから。
私なんかが母親になったから。

自分を責めました。

嘔吐恐怖症へと

保育園の頃から胃腸が弱い長男でしたが、2年生の大きなストレスを機に、本格的な「嘔吐恐怖症」へと移行していきました。

1日中嘔吐のことを考え、食べられない、外出できない、と日常生活にも大きな支障がでました。
学校では給食以外にも辛い出来事が続きます。

次回は長男が辛かった学校生活の続きと、長男に起った心身の異変、実際に学校給食の様子を見に行った時のお話を書きたいと思います。

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