長男の学校生活は不安に包まれていました。
学校に相談しても特に対応は無く、再び私達親子は行き詰りました。そこで私は、長男に給食を食べさせるのをやめる決断をしたのです。
今回は給食を食べないと決めてからの長男の様子と、偶然も重なり、再び登校できるようになったお話を書きたいと思います。
前回のお話はこちらからどうぞ。
今から10年近く前のお話。
学校や先生に対する批判ではなく、1つの経験談です。
もう給食は食べない
私は長男の目の前で給食の献立表をゴミ箱に捨て、「もう給食を食べるのをやめることに決めよう。」と話しました。
そして、「明日からは毎日4時間目で早退し、給食は食べない」という内容を連絡帳に書きました。
長男は、とても喜び、「明日は1時間目から学校へ行く」と言うのです。
私には不思議でなりませんでした。
今まで何度も早退をして給食を食べない日があったし、この日だって早退して家でお昼ご飯を食べていたのです。
翌日起きてきた長男は複雑な顔をしていました。
ほら・・・今日だって学校には行けない・・私はそう思いました。
「今日の給食って・・・」と長男が言いました。
「え?給食?食べないよ?昨日決めたじゃない。献立だってないし、今日は何が出るかも分からないけど。」
心も体も不安定な長男でしたから、私は本当に昨日のことを忘れてしまっているのかと思いました。
「良かった!!お母さんが決めたんだものね!」
「だってもう毎日同じ話するの嫌なんだもの。何十分も悩んで話して遅刻して、それでも食べるのは辛い。食べなくても辛い。
お母さんね、これはあまり言いたくないんだけど、トマトを一生食べなくても困らないよ。
野菜が全部苦手なら少しずつ頑張る必要はあるかもしれないけど、それだって家でやればいいんだよ。
緊張して、学校で、人前で、苦手な食べ物に挑戦する必要ないと思う。
学校って何をするところかと言うと、勉強するところだって思ってる。
トマトと国語、どっちが大事だろう?って考えたら、絶対国語。トマトが食べられなくて国語や算数が受けられないなんて変だよ。
漢字が面倒だから国語はやりたくない、って言うならそれは対策が必要だと思う。
だって京介は漢字を書けるでしょ。面倒なだけでやらないならお母さん怒るわ。
漢字は一生使うし、覚えて欲しいとも思う。分からなくて困るのは京介。
でもトマトは給食を卒業したら一生食べないという選択が簡単にできる。
それなのに、ここまで必死に悩んで努力して食べる必要があるのかな。
苦手なことに挑戦するのは必要だと思うよ。でも、もう十分頑張ったと思うの。」
長男は「うん、うん」と頷きます。
「学校はご飯を食べに行くところじゃない。勉強しに行くところ。だから給食のせいで授業に出られないなら、給食をやめる!」
今まで遅刻して3時間目、4時間目に行くこともありました。
給食の練習をする為に行っているような日もありました。
それならば4時間目に早退すれば、出られないのは5時間目だけです。
「お昼だけ家で食べて、5時間目に戻れば、全部授業が出られたりして」と私が言うと
「それいいね!」と長男。
この子は本当に嫌なのは給食だけなんだなと思いました。
この日長男は「給食がないから吐かないよね。朝ご飯少しだけ食べていく。」と久しぶりにお茶碗にご飯をよそいました。
戻った文字(画像)
この日も長男を4時間目終了に合わせて迎えに行くと、長男は笑顔を見せながら帰り支度をしていました。
いつものように何人かの同級生に囲まれて「また帰るの?」「お腹痛いの?」と声をかけられては、「うん。」と頷く長男。
担任の先生とは目が合うこともなく、このまま帰っていいのかも分からない状態でしたが、これもいつものこと。
歩きながら
「学校は大丈夫だった?」と私が聞くと
「給食がないんだもん。大丈夫だよ。」と言い、帰宅後も元気でした。
学校から帰って元気な様子を見るのは数ヶ月ぶりでした。
「献立表が家に無いっていいね!」と長男。
あの紙がどれほど長男を苦しめていたんだろうか。
給食を食べないと決めてから、長男はどんどん元気になりました。
給食の話をすることもなくなりました。
「吐く心配がないから食べられる」と朝ご飯の量も増え、少し減っていた体重は元に戻りました。
顔色も良くなり、よく話すようになりました。
長男は、朝に食べたご飯を、給食を無理に食べることにより嘔吐する、というイメージが強く出来上がっていたようでした。
早退の時は毎日子供達に何か言われ、服を引っ張られたり(私の服です)私の方が少し嫌になってしまったり・・。
これも毎日学校に行かなければ分からないことでした。
「お腹ね、暫く治らないみたいなの。病院でそう言われてね、だからこれからも早退が続きそうなんだよ。」と私が言ったこともありました。
それでも翌日もまた「どうして帰るの?」言われるんですけどね・・。
長男は私よりその点は強く、ニコニコ受け答えをしていて、妙に感心してしまいました。
4時間目に早退。
それ以外は長男の生活は安定していきました。
安心して眠れ、食べられ、笑顔が見れる。
私は安心するのと同時に、また元に戻ってしまったらどうしようという不安も湧き上がってきました。
時々、心臓が外に飛び出しそうな程ドキドキするのを堪えながら、長男のノートを開きました。
胃がキリキリと音がするようでした。
このノートが
元に戻りました↓
ある日、長男を迎えに行くと、担任の先生が私のところへ来ました。
先生「最近のご様子はどうですか?」
杏「給食を食べないと決めてから、驚く程元気になりました。食べる量も増えましたし、登校も嫌がらなくなりました。」
私は嬉しくて笑顔で伝えました。
先生の表情は硬く
先生「今はそれでいいと思うんです。でも早退する、給食を食べないということが当たり前になってしまい、それがずっと続いてしまうのが心配です。」
そうですか?長男がこんなに元気で楽しそうなら、小学校卒業まで早退でいいですけど。
・・・と思いつつも
杏「そうですね。もう暫く様子を見させて下さい。今日もありがとうございました。」
と学校を後にしました。
あのノートの字が二度と荒れないように。
長男の心が荒れないように。
その為なら給食はずっと食べなくて良いと思いました。
5時間目を受けるには?
4時間目が終わった後に早退、となると5、6時間目が受けられません。
私には「学校は勉強するところ」という気持ちが強くありました。
要は、小学校生活で学ばなければならない学習を終えていればとりあえずは良いのだろう、と思いました。
係活動、委員会、その他色々。
それは安定した登校ができてこそ。
同級生より勉強が遅れている、ということは何よりも長男をクラスに居辛くしてしまうのではないかと思いました。
実際、先生が宿題をくれなかったり、今どこの勉強をしているのかが分からなかったりという事は、「自分のやっていることがあっているのか?1人だけ違うことをして、誰かにそれを指摘されるのでは。」と常に不安に思ってしまう長男にはとても負担になっていました。
家庭でできることとして、通信教育をしていました。
よく聞く教材ですが、我が家ではこどもチャレンジを使っていました。
教科書に沿った内容であることが、授業に出られないことが多い長男には最適でした。
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1年生の3学期から登校が不安定な状態が続いていることで、周囲のお母さんから登校が不安定な他のお子さんの話を聞き、アドバイスを頂くこともありました。
この時に初めて保健室登校というものを知りました。
保健室に登校し、保健室から帰る。
教室に行き辛くて、そのように過ごしているお子さんも何人かいるのだとか。
この時は女の子に多いと聞きました。
「給食が苦手なら、給食だけ保健室で食べることができるよ」と教えてもらい、そんなことができるんだと驚きました。
もう1つアドバイス頂いたのは、お弁当にするということ。
これも「教室で1人お弁当が嫌なら、保健室で食べればいいよ。先生に相談してみて。」と言われました。
現在はアレルギーの対応でお弁当の子がいたりしますが、今から10年近く前は実際にお弁当にしているという子は会ったことがありませんでした。
それでも給食の時間を学校で過ごすことができれば、5時間目以降も受けることができます。
長男に保健室で給食を食べること、お弁当にしてみることを提案しましたが、即却下。
予想はしていましたが
「そんなことしたくない。先生にも言って欲しくない。」とまるでその気がないようでした。
その気持ちは理解出来ました。
私が子供でも抵抗があったと思います。
担任の先生にも給食、またはお弁当にして保健室で食べることを言ってみたのですが、「うーん・・。それはちょっと・・」という反応でした。
学校から自宅が近いので、お昼ご飯だけ家に帰って、昼休みに学校に戻るということも提案してみました。
長男は先にも言っていたように、乗り気。
でもこの話は、担任の先生にはきちんと聞いても貰えませんでした。
先生にしてみたら、お昼ご飯は家に帰って食べるなんて、冗談みたいな話だったのかもしれません。
私は本気だったのですが・・。
保健室での昼食の話は、長男が受け入れなかったので実現もしなかったと思いますが、担任の先生もそれに向けて検討して下さるような感じはありませんでした。
でも同じ学校の他の学年の子は、教室にいるのが苦手で給食も保健室で食べている子が実際にいたのですから、謎が残りました。
保健室で昼食をとりたい、もしくは一度帰って昼食だけ家で食べたい。
他の子は保健室で食べているのに、何故うちの子は駄目なのか。
この思考がモンスターペアレントなのか、私は学校に迷惑をかけているのかなと思い、5時間目以降を受ける方法を考えるのをやめました。
まずは心身の健康を取り戻し、落ち着いた生活を。
勉強は程々で良いと思っていた私でしたが、それでも極端な遅れは気になります。
私自身子供の頃に進研ゼミをやっていて、良い教材なのは体感としてありましたが、高学年になっても進研ゼミだけで補っていけるのかということは疑問でした。
授業を受ける為には給食時間をどうにかして乗り越え、5時間目以降も学校にいる方法を考えてみましたが、ここにはやはり担任の先生の力が必要だったように感じます。
先生は食育についてしっかりとした考えをお持ちの方だったので、学校給食を教室で食べる以外の選択肢はないように感じました。
2年生は給食を食べることなく、終わっていきました。
給食室の改装(画像)
3年生になりクラス替えと担任の先生が変わります。
私は先が全く見えなくなっていました。
長男の3年生が想像もつかなかったのです。
また1から給食だ、早退だという取り決めをするのだろうか。
1、2年生の時の長男の様子は、どのくらい新しい先生に伝わっているのだろうか。
3年生の先生は、2年生の時の先生より給食の取り決めは厳しくありませんでした。
「残さず食べましょうね。」というくらいの指導があるだけで、全員が食べ終わった班から片付けるという決まりもなくなりました。
私の予想に反して、クラス替えは長男にとって大きなストレスにはなりませんでした。
入学した時のように、知らない子ばかりという状況ではなかったのと、仲の良い子が同じクラスになったことが大きかったのかもしれません。
1学期が始まり、間もなく学校から手紙がきました。
給食室の老朽化による、大掛かりな給食室の改装が始まる。
工事が始まってから夏休みまでの間は、毎日お弁当になる、という内容でした。
お弁当!
それも全員が揃って教室で!
給食室の改装なんて、何年に一度あるかないかのタイミングがここであるなんて!
長男は大喜びしました。
小さなお弁当箱に、ほんの僅かなご飯とおかず。
幼稚園児が持っていくようなお弁当に心がザワザワしました。
それを表に出さないよう気を付けながら、起きてきた長男に見せると
「これはどんな味?」と1つずつ聞きます。
どんな味と言われても、卵焼きや焼いただけのウインナー。
珍しいものなど1つもありません。
それでも「練習したい」と残りを味見。
これは毎日続きました。
これはその頃撮ったお弁当の画像です。
私は料理は嫌いではないのですが、食べることが苦手で作るのも得意ではありません。
これはなんでしょうね・・魚肉ソーセージを焼いたものと、冷凍のから揚げ?
スクランブルエッグ的なものにケチャップをかけたものだと思われます。
お弁当箱の底が見えそうなくらいに薄く入れたご飯。
お弁当を持ち、早退の迎えがない。
私は落ち着かなく時計ばかりを見て過ごしました。
長男は「美味しかった!完食した!!」と嬉しそうに帰ってきました。
食べきれなかったお弁当
お弁当開始から3日後。
「お弁当食べきれなかったんだ。」と。
あんな少しのお弁当も食べきれないとは、ショックでした。
なにかあったの?
やはりお弁当でも駄目なのかもしれない。
嘔吐、遅刻、早退。
私の頭は一瞬で一杯になりました。
「でもね、蓋をしたら誰にも残しているのを見られなかったから良かった!
お弁当だから、残しても家に持って帰るし、先生にもバレないんだね!!」と。
長男は給食を残していることを同級生に指摘されることをとても嫌がっていました。
お弁当の蓋を閉めるまではドキドキするけれど、給食で残したものをまた元の容器に戻すよりはずっと簡単で誰にも見られないのです。
残してしまったことにより、長男はこれで残しても大丈夫、と逆に安心できたようでした。
先程の載せた画像のお弁当。
ほぼ変わり映えなく、連日あのような感じでした。
「いつも同じでごめんね。」と言うと
「いつも同じがいいんだよ!違うのだったら、食べられるかまた緊張しちゃうじゃん。お母さんのお弁当は美味しくて安心するから大好きだよ。」
涙が出そうでした。
毎日同じようなおかずなのに、朝一度食べて練習してから登校しました。
朝ご飯とお昼のお弁当が同じ。
それでも長男は、5時間目以降も受けられるようになり、早退はしなくなりました。
お弁当を残したのは2回くらいで、お弁当開始から一ヶ月もすると
「足りないから増やして欲しい。」と言い、お弁当箱を買い換えました。
2段のお弁当箱にして、食べる量も増えました。
なぜ登校が安定したのか?
4時間目が終わったら早退と決めてから、登校はある意味安定しました。
1年生の3学期に給食の不安を訴えてから、4時間目に早退したり、気持ちを整える為に遅刻したり、どうしても無理な日は欠席したりしていたのに、何故なのかなと考えました。
長男は2年生になってから、自分が遅刻、早退、欠席を決めていることに大きな罪悪感を持つようになっていたのです。
実際は私と話し合い、親である私が許可しなければ遅刻、早退、欠席は実現しません。
もう少し大きかったら、それが自分一人の決断ではない、と思えるかもしれません。
「だってお母さんが先生に言ったんじゃん!!」という風に。
私が「今日の給食は無理そうだから早退にしようか?」と言って決まった早退も、長男が「うん」と返事をすることにより、「僕が給食は無理だと言って決めた早退」になってしまうのです。
それが毎日続き、長男の心は疲れ切っていました。
そんな時に、私が母親として「子供に給食を食べさせない」と決めたことで、長男は肩の荷が下りたのだと思います。
もう早退も遅刻も自分のせいではない。
子供にしたら絶対的な正義である親が決めたこと。
僕は言うことを聞いて早退しているだけ。
これが良いか悪いかは賛否両論があり、結果論だと思います。
ただ、この時に限っては長男を救いました。
それまで私は、給食を食べない日は長男の休憩にはなっているだろうと思っていました。
私なりの思いであり、長男に無理はさせないように、休ませる為にしていたつもりでした。
でも、それは間違いだったのです。
給食を食べなかった日は長男にとって、「今日も自分の決断で給食を食べなかった」という罪悪感が1つ増えた日でした。
無理をして食べていた時は「いつ吐くかという恐怖に耐えながら、なんとか頑張ったとても辛かった日」だったのです。
私が給食は食べさせないと決め、その後は学校の都合による給食室の改装で、長男の意思ではなく毎日の生活から給食が無くなりました。
ここからやっと長男にとっての本当の心の休憩が始まりました。
給食で心が一杯だった数ヶ月。
それからの解放が始まったのです。
遅刻、早退、欠席をいくら繰り返しても、長男の状態はどんどん悪化していく。
学校からの協力は見込めない。
そのような中で偶然見つけた答えでしたが、本当に良かったと思っています。
心の中から給食が無くなり、空いたスペースに他の学校生活が入ってきたようでした。
友達、係活動、掃除、教室移動。
大きなストレスから解放されて改めて学校生活を見てみたら、3年半という月日の中で、慣れた物、うまくいっている物も見えてきたようでした。
学校生活に対する緊張感はまだありましたが、怯えていた教室移動や掃除を気にすることはなくなっていきました。
転機
給食室の改装はあっという間に終わってしまい、夏休み明けからは通常通りの給食に戻ります。
夏休み1日目に
「あーもうすぐ夏休みが終わっちゃう!!」と長男は泣き出しました。
夏休みに入ると張っていた気が緩み、反動がきたようでした。
夏休み1日目から2学期のことを思い悩んで過ごすのか・・と私も酷く落ち込みました。
長男はクラスの中でも泳げないことを気にしていました。
2年生になってから、プールの授業があることも登校を不安定にさせている理由の1つではありました。
ただ私から見ていると、長男は赤ちゃんの頃から水に強くて、シャワーで頭を洗えるようにもすぐなりました。
潜ることもできるし、水遊びも大好き。
泳げないというより、泳ぎ方を知らないだけなのでは?と思っていました。
でも私が泳げない、潜れない、なので教えてあげることもできませんでした。
なんなら、私の方が長男よりずっと水が怖い・・。
夏休みのある日、私と長男で大きなプールに行きました。
迷子になりそうな大混雑の中でしたが、まさかの長男の同級生の男の子C君とお母さんに会いました。
この男の子とはゲームの話をよくしたり仲良くしている子で、私もお母さんとは話をしたことがあったので、一緒に遊ぶことにしました。
お母さんは元水泳の先生。
子供達に教えたこともあるというのは前に聞いていました。
長男の給食の事、登校が安定しない事、長男が学校の水泳の授業を嫌がっている事なども気軽に相談できる、いわゆるママ友さん。
「泳げなくて悩んでいる子を見ると、つい口を出したくなってね。」と笑うママ友さん。
私もここでママ友さんが泳ぎを教えてくれたらとても助かる・・と思いました。
でも長男が人前で泳ぐ練習をするとは思えずにいました。
「そんなに水を怖がっているようでもないのにね。」と暫く長男を見ていたと思ったら
「無理は絶対させないから、ちょっと行ってくるね。」とそのママ友さんは長男とC君の所へ行ってしまいました。
長男は他のお母さんと話すタイプではありませんでした。
大人に話しかけられるのは苦手だと言っていました。
ところが・・
「ねー京介君、最近ゲームの調子どう?なんのゲームやってるの?」とママ友さん。
大好きなゲームの話に同級生の男の子Cくんも加わり、盛り上がっていました。
その様子をぼーっと見つめる私(誰より水が怖いので)
「さっき見てたけど、バタ足できるんだねー。習ってないんだよね?上手だから習っているのかと思っちゃったよ。」とママ友さんが言いました。
「え???できないけど・・。」と驚く長男。
「バタ足ってこうだよ!京介くんよりうまいと思う!」とバチャバチャとおどけるC君。
「えー?じゃあどっちが上手か私が判定しようかな。思いきりね!」ということで2人でバタ足!
終わると2人共ゼーゼーしながらニコニコと楽しそうでした。
「長かったのはCだけどしっかりやっていたのは京介くんだったよ。引き分けかな!それにしても京介君は泳げないんだよね?
潜れるしバタ足もこんなに上手で何で泳げないんだろう?不思議!!」
「だって前に進まないんだもん・・。」と長男。
「進まない理由はね・・」
気付けば、ママ友さんから特訓を受けていました。
「あっという間に上達するねー!」「もうこんなにできるようになったよ!」
とにかく褒める。ほんの少しの事でも褒める、褒める。
長男は1時間近くママ友さんから教えて貰い、信じられないことに少し泳げるようになったのです。
「それがだるま浮きだよ。学校のプールであるよね。次はバッチリだね!」と学校の授業まで意識した指導に唖然。
すごい・・子供に水泳を教える先生って本当にすごい・・。
できた!!次の学校の授業楽しみになった!!
と笑顔で私の所に来た時は涙が出そうでした。
ママ友さんにはなんとお礼を言ってよいのか分かりませんでした。
この日は、長男にとってとても大きな出来事でした。
夏休み中にあった自主参加の学校プールは全て参加し、「今日も楽しかった!」と言って帰ってくるのです。
それでも夏休みの終わりは着々と近付き、また給食の話になりました。
2年生の途中からずっと給食を食べていないのです。
「お弁当だったから、学校で何か食べるのは慣れたんだよ。」と長男。
長男「で、今の先生は完食は絶対じゃないし、班で片付けるもないし・・。後はトマト・・。」
杏「トマトはお母さんが先生に言うしかないよね。」
長男「2学期は給食大丈夫だと思う。それよりプールの授業が楽しみ。」
給食が嫌なことより、プールの授業が楽しみって・・それはないんじゃないの・・。
私は期待するとその通りにならないのではないかということを、強く不安に思っていました。
2学期になり、長男は給食を食べました。
そうなんです。給食を食べ始めたのです。
先生に話してはありましたが、トマトを残すのはとても大変なようでした。
それでも元から嫌いな物はトマトだけでしたから、体が大きくなり食べるのも速くなったようで、給食の苦痛は本当にトマトだけになったのです。
2学期は数回しかないプールの授業でしたが、楽しく自信を持って受けられました。
ほんの数ヶ月前に受けた1学期のプールは、長男にとって不安の真っ黒な水に入っていくような感覚だったと思います。
同級生の騒ぐ声も、長男の不安を強めていました。
それが2学期は暑い夏の日差しと、真っ青なプールの色。
自信とやる気。同級生の声も楽し気に聞こえたのだと思います。
長男の言う通り、給食の不安よりプールの授業が楽しかったのです。
まとめ
私が「給食は食べさせない」、と決めてから、長男には大きなな変化がありました。
そこから給食室の改装、プールでの出会い。
長男の成長と自信が、学校に対する不安を少しずつ追い抜いていきました。
3年生の2学期以降も、元気はつらつ!とは体質的にはいきませんが、極端に登校が不安定になることはありませんでした。
そして何とか給食の時間を学校で過ごせるようになってきた時、私が次男を妊娠し、重い悪阻で長男のサポートが一切できなくなってしまったのです。
次回は、私が次男を妊娠してからの長男の様子と、小学校高学年から中学生の給食の様子を書きたいと思います。
今回は長くなってしまいました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。