7歳~12歳(小学生) 不登校

小学校低学年の登校不安定(長男編)

現在は高校生の長男(京介)ですが、小学校1年生~3年生は遅刻、欠席を繰り返しました。
不登校まではいかずとも、かなりの登校不安定。

嘔吐するようになり、なんとか家を出るも、校舎を見て引き返してきたことも。

毎日体調が優れず、長男はもちろん、見ている私もとても辛い時期でした。
今回は登校が不安定だった3年間の長男の様子を書きたいと思います。
結論から言うと、学校との協力は難しく、成長と共に長男が自力で乗り越えていきました。

今回は学校の対応が少し残念だった、という内容もありますが、これは長男が通っていた学校の長男のクラスの個人的なお話です。
日本の小学校が、という大きな話ではございません。
学校に対する批判ではなく、1つの経験談です。

1人ぼっちの長男

長男は保育園でしたが、同じ小学校へ行く友達はいませんでした。

近所にはいくつかの保育園と幼稚園がありましたが、同じ園から数人は同じ小学校に行く場合が多かったです。
長男のクラスも誰も知っている子がいなくて、1人で入学した子はほんの僅かしかいなかなったようです。
長男はその僅かな子供の1人でした。

長男
せめて1人でも知っている子がいたら、入学した時は全然違ったと思う。

と、今でも言います。

ただでさえ不安になりやすいのに、知らない校舎に知らない子供達、知らない先生、授業、行事と毎日は初めての連続で、とてもストレスが強かったようです。

話しかける相手がいないということが、不安を更に強めました。

長男は私のうつ病が原因で保育園に通わせていました。
そこは託児所のような感じで、運動会もなければ学芸会もない、上履きもなく裸足、という園でした。

小学校に行き初めて上履きを履き、体操着に着替え、人前で走ったり(運動会)歌ったり、演奏したり(学芸会、音楽会)ということをしたのです。

1年生は混乱に近い状況でした。

これは私がとても申し訳なく思っているのですが、平仮名を教えていなかったんですね。
読めるけど全く書けない状態で入学してしまったのです。

保育園の頃に他の保護者の方と交流が無く、どのくらい読み書き出来ている状態で入学するのか分かりませんでした。

下手に私が教えるより、入学後にしっかり先生に教えて貰った方がいいよね、習っていないのだから、書けない子も当然いる、と思ったんです。

ところが、まさかの
長男以外全員平仮名が書けた!!
という事態に大慌て。

「「ま」「し」が鏡文字になってしまって書けない!!」と泣かれた時は、年長さん1年をかけて平仮名はやるべきだったと深く反省しました。。。

自分だけ字が書けない、というのもまた長男を孤立させてしまいました。

厳しい担任の先生

1年生、小学校生活初めての担任の先生は、口調が強く厳しい印象の女性の先生でした。
年齢は50代くらいのベテランの先生で、雰囲気は厳しそうでも頼れる気がして私は安心したのですが、長男は少し怖がっていました。

初めての保護者会で、「うちの子が先生が怖いと言っている。」というお母さんが数人いました。

長男も「先生が怖い」と言っていたので、うちだけじゃないんだ・・と何となくホッとしたのを覚えています。

担任の先生は言いました。

「1年生の子供でも生意気な子もいるんですね。保護者の方とのお付き合いも同じで、最初が肝心だと思っています。
私は子供にとっては少し怖いイメージがあるかもしれません。
舐められないようにしているんですね。私のこの感じはわざとやっている部分もあります。

保護者の方も色んな方がいて大変なんですよ。」
と笑う先生。

私はこの時「子供にも親にも舐められないよう、態度を強くし、威圧している」という感じで受け取ってしまいました。

先生の口から「舐められないようにしている」という言葉が出たのは衝撃的でした。

今から9年前です。
モンスターペアレントという言葉が話題になっている頃でした。

モンスターペアレント、またはモンスターペアレンツとは学校などに対して自己中心的かつ理不尽な要求をする親を意味する。Wikipediaより引用

「うちの子がどうしても主役をやりたい」と言う親が何人もいて譲らない。
学芸会の劇の主人公が10人にもなった、なんてニュースになっていたりしました。

確かに先生も大変なんだろうなと思いました。
先生は「厳しさはわざとやっている部分もあるので、実際はそこまで怖くない」ということを伝えたかったのだと思います。

で、私達親はというと、世間を騒がせていたモンスターペアレントとは裏腹に

「あんなにニュースで話題になってたら、気を遣うよね。どこまで相談しても良いのか、どこからがこちらのわがままとなるのか分からない。学芸会で主役10人なんてさ、極一部でしょ。うちの子なんて村人その10くらいでいいわ。」

なんて長男の同級生のお母さんが言っていて笑ってしまったのですが、同じような意見の保護者の方ばかりでした。
初めて小学校入学を経験する親もまた、学校との関わり合い方に戸惑っていました。

先生と保護者の関係

この担任の先生は、「教師と保護者の付き合い方」という話を何度かされていました。
例えば連絡帳の記入の仕方。

「教師も人間です。連絡帳へ記入する時は、用件のみを突然書き出すのはやめて下さい。おはようございます、お世話になっております、いつもありがとうございます、は大人としての礼儀です。いきなり用件のみが書いてあったら、用事が伝わればそれでいいのか、となりますよね。

最後は「本日も宜しくお願いします」と言われた方がこちらも気持ちは良いです。お子さんを預かっているわけですから」

へー・・・そうなのか・・と思いました。
先生って忙しくて、なるべく手短に用件が伝わった方が良いのかなと思っていましたので、教えて貰わなければ毎回挨拶文を書かなかったかもしれないないです。

おはようございます、くらいは書くと思いますが・・。

あれから小学校6年間と現在次男小1。
ずっとあの時の先生が言ったように書いています。

例えば

「おはようございます。いつもお世話になっております。風邪気味なので、2時間目の体育は見学させて下さい。本日もどうぞ宜しくお願い致します。」

といった感じ。

皆こんな感じで書いているのかな。
謎です。

まぁでも・・・・あれからそのようなことを言う先生はいなくてですね。
先生からの返事は一言だったりします。

私はそれでいいと思っています。
先生って心配になるくらい忙しそうですから。

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作戦が裏目に

入学して間もなくは学校まで送っていく親が多くても、夏休みに入る頃にはほぼいません。
子供達は1人で登校できるようになっていきました。

ところがうちの長男は1人で行ける気配が全くなく、それでも私と同じ心配性のお母さんがいて
「うちは1年生の間は途中まで送っていくよ!」と意気投合。

毎朝顔を合わせるようになりました。

そのお母さんのお子さんは男の子で、お兄ちゃんもいたんですね。

「うちのお兄ちゃんに連れて行って貰えば、学校まで行かなくていいよね!」と言って頂き、途中からお兄ちゃんにお任せすることに。

親が付いて行くよりも、子供同士で行った方が良いかなと思いましたし、私も途中からであっても学校まで毎朝行かずに済むのは助かりました。

通学路の途中で待ち合わせして、長男、同学年の男の子、その子のお兄ちゃん、というメンバーで登校。

でも同学年の男の子は隣のクラスの子だったので、喋ったこともないし、2人は兄弟だしで、居心地が悪かったようです。
それでも連れられるまま登校していた1年生。

これも未だに「緊張するからしんどかった。」と言います。
母、反省。。

お兄ちゃんは優しくうちの長男を毎日学校まで連れて行ってくれていましたので、あんなに優しい子でも上級生となると、緊張して駄目なんだなと思いました。

私の精神状態も良いわけでもなく、長男と一緒に緊張した日々でした。

最も辛かった2年生

2年生になり、担任の先生が変わります。

間もなく学校給食への不安を訴えるようになりました。
苦手な食べ物があり、それを「クラスメイトの前で残すことができないから嫌だ。」と言うのです。

給食以外でも、プールの授業で周囲より自分が泳げないことが不安になったり、絵を描いていたら「お前は下手だから描くな。」と言われたり、運動会の練習では、運動が苦手なことを色々と言われたり。

このように文章で書くと酷く感じますが、実際は教室でよくあるクラスメイトとのやり取りだと思います。
長男にとって学校生活はどんどん辛いものへと変わっていきました。

朝「気持ち悪い」と言い出し、吐き気を我慢。
ある朝本当に吐いてしまって、それからは毎朝のように嘔吐するようになりました。
この頃から「学校で吐いたらどうしよう」という嘔吐恐怖が強くなっていきます。

喉が異常に乾いたり、学校が怖くて家を出ることができませんでした。

長男はよく「自分だけができない。他の子は皆できてる。」と言っていました。

他のお母さんにお子さん達の様子を聞くと、そんなことはないんですね。
できることもあればできないこともある。

「うちの子は学校生活完璧だわ。」という子はいませんでした。
でもいくらそう言い聞かせても「そんなはずはない」と言います。

学校の参観に行くと、毎時間のように手を挙げて発言し、人の前に立って話したり、まとめ役がうまい子でした。

私の知らなかった長男の長所に驚き、とても感心し、褒めていました。
よく他のお母さんからも褒められました。

でも長男は

長男
そんなの、どうでもいいこと。

と。

長男が感じている学校、実際目に見えている学校、友達、それが全てになってしまい、そこから抜け出させることが困難な毎日でした。

遅刻、欠席を繰り返し、顔は真っ青で常に吐き気があるようでした。

担任の先生の意見

京介くんが学校に来れなくても、学校側としては特に問題はない。

私はこの言葉を冷静に受け止めました。

この状況が学校として問題ではないならば、こちらから話すこともないと思いました。

私がなんとか現状を変えたいと相談したところで、学校はそれをそもそも問題だと思っていない。
改善策どころか、長男にとってどんなに学校が大変で辛いのか、そこから理解して貰わなければいけないとは。

その時間も長男は辛い時を過ごすのです。

私は長男がどうやったら給食を食べられるか、学校に安心して通えるのかを考えるのをやめ、4時間目が終わったら毎日早退させることにしました。

朝学校に行けない日は、休ませ家で通信教育をやらせました。

先生の言葉には「遅刻、早退、欠席を繰り返しても、まだ2年生なので勉強に影響はない、学校生活に支障はない。」とも受け取れます。

でも学校にいない間の手紙や宿題を数日分まとめて渡されたり、長男だけ連絡事項が分からなかったりと、登校できた時も疎外感を感じていました。

そんな長男を毎日見る私も相当に辛く、親子で辛い1年となりました。

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3年生の時の転機

3年生になると1学期に給食室の改装があり、毎日お弁当になりました。
3ヶ月間、毎日お弁当です。

それにより、長男は5時間目も受けられるようになり、給食の不安が無くなったことから朝も嘔吐しなくなりました。

さすがに小学校生活も3年目となると、私が思っていた以上に慣れた部分もあり、友達もできていたようです。

でもこの時もまだ、登校、下校時の送り迎えは続いていました。
とにかく私が一緒でなければ家を出られないし、途中まで迎えに行かなければ帰ってこれないんですね。

小学生になってから、1度も1人で登校、下校ができない。3年生になって送迎しているのは私だけでしたので、密かに悩んでいました。

長男には外を1人で歩くのが怖くなった原因がありました。
それはまた別の記事で書きますが、トラウマになっているものでした。

そんな時。
次男を妊娠していることが分かりました。

私の悪阻は重く、それこそ吐いて吐いて、家から出られなくなったのです。
外出は這うように行く、病院の点滴がやっと。

夫が代わりに何度か送り迎えをしていましたが、仕事に負担がかかっているのは長男にも分かったようです。

夫ももうこれ以上は無理!となり、私もとてもじゃないけど、決まった時間に家を出られないし迎えにいけない。

どうしよう・・!となった時

長男
1人で行くよ。
え!いつから!?
長男
明日から。

明日!?

翌日、長男は1人で登校していきました。
なんでもない顔をして「大丈夫。行ける。」と。

帰りは「なんとか来れた。」と疲れた様子。。
それから少しずつ不安そうな顔も消え、1人で登下校できるようになりました。

もう4年生になる頃でした。

自分の目で見て、お父さんもお母さんも来れない理由を理解したのでしょう。
踏ん切りがついたのだと思います。

きっと長男が1番、親の送り迎えを気にしていたのかもしれません。

次男が生まれお兄ちゃんに。
弟の誕生に大喜びし、「お兄ちゃんだから頑張らないとね。」とよく言うようになりました。

学校生活はぐっと落ち着いていきました。

子供にとっての学校は

前回こちらの記事で、心配なことは学校に相談してみましょう!と書きましたが、今回の話では何一つ学校と協力できたことが書いてません(^^;

弟の誕生を機に長男は変わっていきました。
ただ、それはもう9歳だったから、ということが大きい気がします。

これが小学校入学、または1番辛かった2年生の時だったら、私が妊娠出産で動けないことは、不安でしかなかったと思います。

私の経験と同じように、学校に相談してもうまくいかない、ということがあるかもしれません。
「生徒が登校できないことに、学校は行けるように協力するのが当たり前」なんて当時私は思っていました。

でもそれで揉めている間も、子供は全然別のところで深く悩んで悲しんでいます。
今この瞬間も辛い子供を、休ませてあげられるは親だけだと、私はそう思います。

こちらの状況を理解してくれない。
改善策が取れない。
昨日と今日が何も変わっていない。

それが3年続きました。
大人の私でも現状を変えることが難しい。

そこに毎日通おうと頑張る子供はどんなに辛いか、ということです。

ですので、やはり何でも学校に相談した方が良いと思うのです。
それに対し、どのような対応をするのか。

そこに我が子が通っているのです。

ここで終わってしまうと、なんとも悲しい感じですが、その後長男は5、6年生と理解ある担任の先生になり、楽しく学校に通えるようになりました。

朝ご飯を食べ、登校し、授業を受け、友達と遊び、不安なく給食を食べて、下校する。
それが毎日続きました。
長男の小学校生活は5年生からやっと始まったような気がしました。

あれから9年。次男が同じ小学校に通い、同じく登校の不安を訴えています。

次男は、学校側からこれ以上ない理解を受け、少しでも不安なく登校できるよう、安心して学校生活を送れるよう、様々な提案と手助けを受けています。

私とも頻繁な話し合いをしています。

次回は長男の嘔吐恐怖症について書きたいと思います。

給食の不安は大きく、紅白帽子の顎のゴム紐ができない、首の詰まった服が着れない、そして何よりそれを周囲の友達に知られるのが嫌だ、という気持ちが強く、学校生活では苦労しました。


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