嘔吐恐怖が消えることはありませんでしたが、長男の登校は少しずつ安定していきました。
3年生になりやっと・・!と思っていた時、私が妊娠して、長男のサポートができなくなってしまったのです。
今回は長男の小学校3年生から中学校までの給食の様子と、どうしても食べられなかったトマトはどうしたのか?というお話を書きたいと思います。
前回のお話はこちらからどうぞ。
お兄ちゃんに
長男が3年生の時、私は念願の次男を妊娠しました。
9年越しに叶った夢と、まだ不安定な長男に、嬉しさと不安が入り混じりました。
長男はずっと兄弟が欲しいと言っていて、お兄ちゃんになることに大喜びしました。
でも私は嬉しさの反面、下の子が産まれるとなるという赤ちゃん返り、お母さんを取られた寂しさ、精神的な不安定などの方が気になっていました。
あまりプレッシャーをかけてはいけないと気を付けていましたが、長男は
「お兄ちゃんになるから頑張らないとね。」とよく口にするようになりました。
学校には行けるようになっていましたが、ここまでくるのに3年半もかかったのです。
また何かのきっかけで登校できなくなるかもしれません。
お兄ちゃんになるということは、今の長男にとってプラスになるのかマイナスになるのか、見当もつきませんでした。
長男を妊娠した時も酷い悪阻でしたが、次男の時も生きた心地がしない程の吐き気が続きました。
登校時の送迎は入学時から続いており、長男はこの頃も1人で家を出て学校まで行くことができずにいました。
私はとにかく1日中吐いて吐いて、嘔吐恐怖症の長男にはさぞ辛いだろうなと思いましたが、止められる吐き気ではなく・・。
入学から欠かさずにやっていた、登下校の送迎が難しくなりました。
それは説明せずとも長男の目にも明らかだったと思います。
それでも何とか朝は一緒に出るのですが、
「帰り大丈夫?」と長男も心配するようになっていきました。
帰り道は吐き気と眩暈でフラフラ。
真っ直ぐ歩けないのです。
長男のことが頭に入ってこない程の吐き気と眩暈。
明日をどうやって暮らしたらいいんだろう・・という不安。
食べられない、お風呂にも入れない。
ひたすら吐く。日常生活が困難でした。
長男よりも私の方が大変になってしまったのです。
長男「僕の時もこんな風だったの?」
杏「そうだよ、赤ちゃんを産むのって本当に大変なんだから・・」と布団から動けず。
嘔吐恐怖症の人は、他人が吐くのも恐怖と聞きましたが、長男はそうでもなさそうでした。
夫が長男の送迎をしたこともありましたが、仕事があるので毎日は無理。
いよいよ
学校どうしよう!?
となった時・・
えぇ・・!?
突然1人で行ける?
だって3年生のこの時まで、1度も1人で登校したことがなかったのです。
翌日の朝、長男は本当に1人で登校する準備をしていました。
杏「ちょっと待って・・なんとか行くから・・。」と言う私に
長男「大丈夫。寝てて。僕より赤ちゃんの方が大変そうだし。」
初めて1人で登校するとは思えないくらい、あっさりと家を出て行きました。
私に心配をかけないように、ものすっごく頑張って無理しているんだろうか。
そうだったら絶対反動がくるし、どうにかしないと・・とは思うのですが、とにかく気持ち悪いー泣
買い物の荷物を持ってくれたり、健診の話を熱心に聞いてくれたり、長男は何かというと「お兄ちゃんになるから!」と頑張ります。
健診の日は、エコー写真を楽しみに学校から帰ってきました。
嬉しくて嬉しくて、心から楽しみで。
それがとても伝わってきました。
どうやらこれは、無理をして頑張っているようではない、と思いました。
長男のお兄ちゃんになるんだ、という気持ちを私も素直に喜んでいいんだと思いました。
長男を妊娠した時、私はまだ20代半ばで、誰もが「杏に子供が育てられるのか」と言いました。
「間違っても虐待するんじゃないよ。」と言われたこともあります。
金髪に近い髪の毛で水商売をしていたのですから、その言葉は無理もありません。
夫は長男を妊娠中の私にもお腹の長男にも関心はなく、健診の話は無視され、この子は望まれて生まれてくるのか分からなくなったこともありました。
妊娠中のホルモンバランスの変化もあり、鬱に近い状態だったと思います。
毎日泣いては、こんなに弱いお母さんでごめんね、これじゃお母さんになんてなれないよね、とお腹の長男に謝っていました。
それが今回は、「僕もお母さんと一緒に頑張るよ」と長男が言うのです。
「沢山遊んで、色んなことを教えてあげるんだ」と。
「僕はお兄ちゃんになる。生まれた後は、お母さんは僕のお世話じゃなくて、家で赤ちゃんのお世話をして欲しい。だから僕は1人で学校に行くし、帰ってくる!」
次男が生まれるまでに、何度長男に「ありがとう」と言ったでしょう。
長男のおかげで、とても幸せな妊娠期になったのです。
長男は、もしかしたらもっと前から1人で登下校できたのかもしれません。
でも入学してから3年近く続いていた親の送迎を、やめるタイミングが難しかったのかなと思います。
登下校に関して、長男は入学時と変わらない不安を持っていると思っていましたから、私の知らない間に成長していたのです。
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4年生
長男は次男の出産に立ち会い、毎日とても可愛がりました。
学校から帰ってくると次男の横に一緒に寝て、色んな話をしたり歌ったりしました。
学校・・・なのですが、私には長男の小学校4年生の記憶がほとんどありません。
次男は難産で出産も産後も辛く、完全母乳で育て、大変な毎日でした。
授業参観も行けなくなり、行くのは運動会など大きな行事のみ。
学校の話よりも、次男の話題一色でした。
1年は、次男にばかり手を取られ過ぎていきました。
ところが長男に聞くと、小学校生活で一番嫌だった先生は4年生の時の先生だったと!!
それは絶対ないでしょ!!
え・・2年生は・・?あんなに辛かった2年生・・
聞けば4年生の担任の先生はよく怒ったんだそう。
なんだかとても子供らしいというか普通な理由というか・・。
長男は1年生~3年生のことはあまり覚えていないのだそうです。
子供って小学校4年生(10歳)で大きな変化がある子が多いような気がしています。
長男も自分というものがしっかりしてきたのが、10歳だったのかもしれません。
1~3年生までは辛いことが多かったですから、はっきり覚えていないならその方が良いです。
でもそうでしたね、1年生の先生は厳しかったですが給食には特にルールなどもなく、長男の不安も理解してくれました。
2年生の先生は長男に話しかけることはほとんどありませんでしたし、私から長男と先生で話し合って欲しいとお願いしたことも実現しませんでした。
その点で印象が薄いのかもしれません。
3年生は給食室の改装でお弁当、夏休みで泳ぎに自信をつけ、苦手だったプールの授業が楽しみになったほど。
赤ちゃんの話ばかりで、担任の先生の話は特に聞いたことがありませんでした。
そうなると4年生の先生は、長男からもしっかり関わっていたのかもしれません。
1人での登下校、学校生活にも慣れ、自分らしさも出て、先生には怒られていたんでしょうね(^^;
私としてはそれくらいの方が安心です。
やっと始まった小学校生活
5、6年生は同じ先生でした。
男性の先生で、この先生は長男が小、中、高(はまだ卒業していませんが)の中で一番好きだったという先生です。
この先生が今までの先生と大きく違ったのは給食にあまり関心が無かったのです。
食育どころか、生徒が残しているのか、食べているのかをそもそも見に来ない。
おかわりも何もルールがない。
先生は教卓に座り、給食を食べながら近くの生徒とお喋り。
騒いだりする生徒に注意したりはありましたが、基本自分の席に座ったままだったそうです。
終わりの時間に全員で「ごちそうさまでした」と挨拶をして、バラバラと終わっている人から片付ける。
食べきれなかった子は、許される時間までゆるーく残って食べる(自分の意志で)
給食の時間は普通のご飯の時間になった、と長男は言っていました。
子供達の給食に対する変化
高学年になってくると、食欲旺盛な子は、誰かが残してくれた方が嬉しかったりします。
低学年の頃は「食べられないの?僕はこんなに食べたよ。」という会話があったりしますが、高学年になると「いらないの?俺食べたい!ありがと!!」という感じに変わっていったそう。
自分が残しても、誰かが食べる。
長男は残すことも気にならなくなっていたのでしょうけど、残したところで誰かがそれを待っているのです。
子供達同士も、沢山食べられた方が偉いとか、凄いという感覚はなくなっていき、誰かがどれくらい食べたかなんていうことも気に留めなくなり、もし残していたら「具合が悪いの?」という風に大人と同じような状態になっていたようです。
献立も気にならない
長男は体質的に食欲にはかなり波がある子です。
それはもう生まれた時から今に至るまでずっとです。
学校がどんなに楽しくても、運動会や学芸会の前は食欲が落ちます。
それでも給食の不安を口にすることはなくなりました。
献立表も見かけなくなり、「今日の給食何?」と聞いても「さぁ?全然分からない。」と返ってくるのが当たり前になりました。
出すのも忘れている、ぐしゃぐしゃの献立表がランドセルの底から見つかることもありました。
担任の先生との信頼関係
担任の先生は、勉強だけではなく、社会に出て生きるとは、など様々な話をしてくれたそうです。
長男は「信用できる大人の人に会ったのは初めて」と言っていました。
そう思える担任の先生と出会えて、とても幸せだったと思っています。
学校で困った時は自分で先生に言って解決できるようになり、時には先生と長男が2人で話し合ったこともあったようでした。
「学校が楽しい」「給食が美味しい」言うようになりました。
面談で先生が「京介君は頼んだことは責任を持ってやり遂げてくれるんです。」と話してくれました。
長男もまた、「先生としっかり打ち合わせして、成功した時はとても嬉しかった。」と言っていました。
全校の前に立って代表の挨拶をしたり、修学旅行の班長をしたり、得意なことを発揮できる機会も増えました。
そうなるとますます学校が楽しくなるようでした。
長男の小学校生活は、5年生からやっと始まったように思いました。
何の不安もなく登校し、楽しく1日を過ごし、下校して、明日を楽しみに眠る。
そして家ではとても良いお兄ちゃんでした。
給食に悩んでいたあの頃を、一気に取り戻していくような感覚がありました。
6年生最後の登校日。
ランドセルを背負って笑顔で玄関のドアを開ける長男の動画が、今も私のスマホに残っています。
中学校の給食とトマト嫌いは・・?
中学校も給食でしたが、話題になることもありませんでした。
ある時
「トマトどうしてるの?残してるの?給食って絶対トマト出るでしょ。」と聞いたら
食べてる!?!?
杏「いつから?」
長男「小学校高学年くらいから。最初は無理矢理食べてたけど、今は前より慣れた。大きなトマトは無理だけど、ミニトマトちっちゃいしね。なんとかいける。」
知らなかった・・トマトを食べていたなんて・・。
ミニトマトはちっちゃい・・か・・。
体が大きくなり、食べる量も増え、ミニトマトが小さく少しの量に感じるようになったんだなぁ・・と。
杏「高学年って、あの時の先生は残しても見てもいないって言ってたじゃない。」
長男「でも完食したいじゃん。」
杏「まだ完食の話してるの。別にいいでしょ、完食しなくてもさ・・。」
長男「皆の前で残したくないのは変わらないんだよ。残す時もあるけどね。本当は嫌なんだよ。」
本質は変わらずですね。
給食のことは忘れているかのような3年間でしたが、中学校を卒業した時に
「これでもう一生トマトを食べなくて済むね。」と言ったら
「やったぁー!!!すげー嬉しい!!」
と、本当に嬉しそうだったんですね。
あぁ・・大きくなっても辛さはあったんだなと。
小学校1年生から中学校3年生までの9年間。
給食の話題が出ないくらいの日常にはなりましたが、長男にとって給食の時間が楽しいものになることはなかったようです。
嘔吐恐怖症を持ちながら、よく頑張ったなと思います。
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会食恐怖症
会食恐怖症という言葉をご存知でしょうか。
簡単に言うと、人前で食事をするのが困難な症状です。
私は幼少期のトラウマがあり、会食恐怖症で現在も人とご飯を食べに行くのが苦手です。
外食だけでなく、自宅にお友達が来た時、または遊びに行った時に出されるお菓子なども食べることが苦痛です。
私が長男の給食不安に対し、決して無理はさせたくない、食べることが嫌になってしまったら取り返しがつかないと学校に訴えたのは、実際に私が困っているからです。
私は自分なりには長男の嘔吐恐怖症にも、やれるだけのことはやったと思っています。
でも解決には至らず、給食室の改装や、お兄ちゃんになることを機に乗り越えっていったのですが、それでも高校1年生の今も嘔吐恐怖症は全然治っていないのです。
未だに喉の渇きに敏感ですし、喉が渇くと吐き気がするという、私には理解し難い感覚があります。
冬の乾燥した季節、まさにこれを書いている今ですが(2月)マスクと水分は欠かさず、辛い季節だと言っています。
それでも小学校、中学校に比べたら高校は自由な面も多く、常にペットボトルを持ち歩くこともできますし、自分で対策をしているそう。
そして、私がこれだけは避けたかった会食恐怖症に長男もなってしまったのです。
私にはこれになった明確な理由があるのですが、長男は吐き気が怖い、人前で吐いたらどうしようという嘔吐恐怖からなってしまったのだそう。
高校生だというのに、友人と外食することもなく、ファストフードに行くことも、友達とコンビニで何か買って食べるということもほぼありません。
自宅で食べるご飯だけは安心すると言います。(私と同じ)
この会食恐怖症についてはまた改めて書きたいと思いますが、嘔吐が怖くて人前でご飯が食べるのが辛いのですから、今は毎日お弁当でも辛いんだろうなと思います。
恐怖症というのは本当に厄介で、私がそれだけは避けたいとあれこれとやってみたり、長男も努力を重ねましたが、症状が消えることは今もありません。
まとめ
長男の嘔吐恐怖と給食について綴ってきましたが、食に対する長男の状態は4歳くらいから16歳の現在もほぼ変わっていません。
もしかしたらこのままずっと付き合っていかなければいけない症状かもしれません。
それ程根強い症状を、小学校低学年の頃は必死に解消しようしていたのです。
長男は症状は変わらずとも、長年の付き合いになってきた吐き気と嘔吐恐怖を持っていること自体には「慣れた」と言います。
「慣れた」というのは、症状の辛さは変わらなくても、どうして自分はこうなんだと思い悩まなくなった、そうなのだから仕方ないと思えるようになったそうなのです。
後に聞いた話なのですが、小学校の時に同じクラスだった女の子も給食に苦労し、4年生頃にやっと吐かなくなったそうです。
その子も学校ではなんとか堪えるものの、家では頻繁に嘔吐したそうです。
長男も私も、そのことに全く気付きませんでした。
学校ではいつも元気に過ごしていたのです。
子供が給食を食べられないことを悲観する必要はないと思います。
給食は卒業と共に必ず終わり、その後はもっともっと自由に自分の食を選択できます。
その一定期間しか食べない給食にこだわり、肝心な勉強に支障が出てしまうのは勿体ないと思います。
では、どのようにしたら良いのか?
それはお子さんに聞いてみるのが一番確かなのではないでしょうか。
私は長男が低学年の頃、遠回りしてしまいました。
まず長男が私にしっかりと話しやすい状況を作れば良かったのです。
私は不安症が先立ってしまい、こうなんだからこれが不安に違いない、と決めつけがちなところがあります。
そう言われると、まだ学校生活に慣れない子供は「お母さんがそう言うのだからそうなのかな」と思ってしまうようでした。
つい自分が小学生だった何十年も前を基準に考えてしまうのですが、実際今学校に通っているのは子供です。
私が知らないことの方が多いでしょう。
学校のことですから、通っている本人に何が辛いのか、どうしたら良いと思うのかを聞いて、そこから考えて行った方が子供も納得すると思います。
辛い日々が永遠に続くような気がすることもありますが、子供の成長とは本当に逞しく、決して同じ日が続いていくことはありません。
そして親は、自分は子供が給食を食べられないことで何に困ると思っているのか、何を心配しているのか、ということを明確にした方が良いと思います。
なかなか難しいですが、親である自分の考えと、子供の現状を少し切り離して、子供だけを見てみないと、自分の考えや過去の経験というフィルターがかかってしまい、子供がしっかりと見えません。
でも心配ですよね。
美味しく給食を食べて欲しいと、心から願ってしまうのですが・・。
どっちだよ!!
と突っ込まれそうですが、複雑な親心でございます・・。
5回に分けて書いてきた、長男の嘔吐恐怖と給食の話はこれで終わります。
我が家にはなんと、長男のトマト嫌いどころではない、野菜がほぼ食べられないという次男がいます。
現在長男と同じ小学校に入学して1年生です。
私は、入学前に校長先生に給食のことを相談に行きました。
長男の時は学校と協力はできませんでした。
あの時は担任の先生としか話しませんでしたが、学年主任や校長先生、副校長先生はどのような考えなんだろう?皆同じ意見なんだろうか?と思っていました。
母親を16年やっておりますが、校長先生と話したのはこれが1度きりです。
校長先生に「うちの子は給食を食べられないと思うのですが、どうしたら良いですか?」と聞いたら、どのような返答があったのか、次回書いていきたいと思います。